673年2月27日、天武天皇は飛鳥浄御原宮において、即位の儀を執り行いました。この天武天皇はその名を大海人皇子(おおあまのみこ)といいますが、舒明天皇と斉明(皇極)天皇の間の子息です。また、兄は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)です。
大海人皇子は大化改新後、中大兄皇子の政権である孝徳・斉明・天智朝において、中臣(藤原)鎌足とともにとても重要な位置を占めていました。天智天皇が即位した後で皇太子となりましたが、当時は誰もが天皇が亡くなった後もこの弟であればとても立派に事業を継いで国を豊かにするだろうと期待を持っていたとのことです。
日本書紀では、天武天皇は英雄として書かれているのですが、天智天皇は残忍で陰謀を持つ人物とされ、あまり良く書かれていないようです。また日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇ですが、皇孫元明女帝の時代に成立していることを思考えれば頷ける話かもしれません。時代として謎は多く、天智と天武に血縁関係はないなどの説もあります。